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コンポジション

地味なブログです。お役立ち情報は皆無です。感じたこと、思ったこと、考えたことを、ぽつりぽつりと書いています。受け売りではなく、自分で考えたことを書くようにしています。嘘や誇張もできるだけないように、と思いながら書いています。写真も公開する予定です。

ちょっとまて

ここ数年で、スマホやパソコンにふれなかった日は、あっただろうか。仕事のある平日はもちろん、歩いて5分のコンビニに行くときでさえ、玄関先でポケットのスマホを確認している。四角く硬い感触がそこにあると、土に触ったような安心感がある。たかだかコンビニと家との往復で、なにが起こるというわけでもないのに。

いまから、自分だけがネットを使えない生活が、はじまるとする。

仕事は完全にお手上げだ。休日は、どうやって乗り切ろう。趣味や読書や散歩で時間を「潰す」。そう、過ごすではなく時間を潰す。ネットから隔離された瞬間、それまでの日常は、色を失い、のっぺりとして、陳腐なものに変貌してしまう。

スマホやウェブの本当の怖さは、「もしそれがなかったら」を想像できない点にある。これはもう、依存と呼んでいいのかもしれない。

その反動もあるとは思うけれど「ネットを断つ」系の記事が増えている。スマホやパソコンから少し離れて、家族と過ごす時間を増やしましょう。近くの川で風に吹かれるのも、いいですよ。たしかにその通りだ。本当にたいせつだと思う。ごもっとも。

けれども、それと同時に、この手の「自然回帰」「家族のとのふれあい」的な話が増えるにつれ、そんなに単純でいいのかな? とも思う。「ネット=悪、自然=善」という二元論は、単純で耳ざわりがいいぶん、鵜呑みにするにはなにやら危なかっしい雰囲気もある。

やさしくて耳ざわりのよい言葉は、抵抗なく頭に吸い込まれていく。が、耳ざわりがよいことを目的に書かれた文章は、おうおうにして中身がスポンジのようにスカスカだ。そして私たちから、立ち止まること、考えることを無意識のうちに奪い取ってしまう。

ネット依存から耳ざわりのよい言葉に、話がわき道にそれてしまいました。でも、本当に言いたかったことはこっち。やさしくて耳ざわりのよい言葉ほど、気を引き締めなければ、というお話です。そして、耳に痛い話には、今の自分に必要なものがカチンと詰まっているから、耳が痛いのだ、ということもお忘れなく。