地球儀の 3.11
仕事部屋に、古い地球儀があります。直径は約35センチ。ずいぶん前に、古道具屋で購入したものです。朝鮮半島に国境線が引かれていないので、1950年前後に作られたものだと思います。
3.11以来、なにかの拍子にこの地球儀の、三陸の、リアス式海岸を指でなぞることがあります。
あの日、東北を襲った津波の最大波高は、20メートルとも30メートルともいわれています。けれども、いくら息を殺して地球儀をなぞってみたところで、波の高さを指先で感じることはできない。マグニチュード 9.0によって揺さぶられた大地のうねりも、指先に伝わることはない。しんと静まり返った部屋に、くすんだ青い地球儀がぽつんとあるだけだ。つまり、地球儀上では、なにも起きてはいなかった。
僕は、ここで、あの地震など取るに足りない、気にかけるほどのものではない、などと言いたいのではありません。その逆、むしろ、伝えたいのはその真逆です。
人々が何十年、何百年という時間を費やし、知恵を絞り、汗を流し、これが正しいと信じ、築き上げてきたものを(それはつまり文明なのですが)、津波はいとも簡単に押し流してしまった。そして、あの震災から5年たった今でも、家を失い、職を失い、家族が離散し、影のように生きざるを得ない人々がいる。
地球儀がぴくりとも動かなかったことは、太陽系から見るとさらになにも起きていないことを意味します。銀河系から見るとさらに。そして宇宙全体から見るとさらにさらに・・・。
自然がどれほど恐ろしいか。その前で人間はどれほど無力でちっぽけで、か弱い存在なのかということを、くすんだ青い地球儀は語りかけている。人間よ、おごってはいけない、と。そんな気がしてならないのです。