コンポジション

地味なブログです。お役立ち情報は皆無です。感じたこと、思ったこと、考えたことを、ぽつりぽつりと書いています。受け売りではなく、自分で考えたことを書くようにしています。嘘や誇張もできるだけないように、と思いながら書いています。写真も公開する予定です。

テイスト オブ ハニー

テレビ局、とくに民放は、人々が観たい番組を制作し放送する。視聴率を度外視して、自分たちの作りたいものだけを作る、というスタンスは成立しない。視聴率ありき。より多くの人に観てもらうことによって、採算を取っているのだから、当たり前の話だ。利益を追求することは、テレビ局も一般の企業も変わりはない。

昨日、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが、会見を開いた。妻の小林麻央さんが、進行性の乳がんを患い、闘病中であること。進行が早く、深刻な状況であることを明らかにした。

彼が、どのような経緯で、どのような理由で、病状を発表したのかはわからない。彼はつとめて軽く、平静に、受け答えをしている印象をうけた。聞くところによると、小林麻央さんが、中継を観ていたそうで、彼女の心情をおもんばかっての「軽さ」だったとしたら、胸がつまる。

この中継に対し批判が起きた。その矛先は、テレビ局と記者の質問に向けられ、いわく「芸能人だからといって、こうした会見がそもそも必要なのか」「なぜ、がんのステージを執拗に聞くのか」「5年後の生存率なんて知りたくもない」

批判すること、それ自体はもちろん自由だ。どんな理由があるにせよ、記者の質問の中には、行き過ぎたものがあったことは、たしかだと思う。相手が「公人」だからといって、なにを聞いても許される、あなたには話す義務がある、という考え方は乱暴だ。

冒頭の話に戻る。テレビ局は、人々が観たい知りたいと思うものを放送する。その意味で、構造的に番組と視聴者は「合わせ鏡」の関係にある。もちろん、それがすべてではないけれど。が、件の会見に限っていうなら、局の本音はこうだろう。

「私たちは、視聴者を代弁しているのに過ぎない」

この手の批判が起こるたびに思う。世の中には想像以上に「人の不幸は蜜の味」と感じる人が多いこと。対象が著名人、権力者であればあるほど、その蜜の味は甘く、カタルシスに包まれ、うっとりする人が一定数いること。こうして偉そうに書いているぼく自身も、そういうところはきっとある。

メディアを批判することは自由だし、むしろ、メディアの動向は目を光らせる必要がある。と、同時に、彼らに向けられた批判は、私たちに向けられたそれと多くの部分が「重複」していることを忘れてはいけない。ここを抑えているか否かで、批判の重さもおのずと変わってくるのだろう。

なんだか堅苦しい話になってしまいましたが、人がつらく苦しく悲しい思いをしていたら、まっさきに「だいじょうぶかな」と思える人でありたい。人のしあわせこそが、蜜の味だと思いたい。ぼくにとっては、きつい道のりだとは思うけれど、そうありたいな、というお話でした。