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コンポジション

地味なブログです。お役立ち情報は皆無です。感じたこと、思ったこと、考えたことを、ぽつりぽつりと書いています。受け売りではなく、自分で考えたことを書くようにしています。嘘や誇張もできるだけないように、と思いながら書いています。写真も公開する予定です。

Cの物語

大人の話を襖越しに聞くことが好きだった。その話がミステリアスであればあるほど胸を躍らせた。そして、不思議なことに、そのたぐいの話は今でも鮮明に覚えている。

僕は、北海道の室蘭という地方都市で生まれ育った。町の中心部から高台に向かって急勾配の坂をのぼり、墓地を通り抜け、さらに坂道をのぼる。丘の中腹。そこに張り付くようにして実家があった。玄関を出て坂を下ると漁港に出る。走ると2分もかからなかった。

小さな漁港だ。係留している船は、漁が休みの日でも30隻そこそこ。地図を見ると港は、アルファベットの「C」のカタチをしていた。僕らは、Cの中で友だちをつくり、喧嘩をして、初恋をして、少しずつ大人になっていった。

Cの口が開いている部分は岩だ。その岩を潮流が長い時間をかけて削り、洞窟を穿った。洞窟に立ち入ることは、固く禁じられていた。その理由は、潮の流れが速く、子どもが落ちるとまず助からないから。もうひとつの理由は水死体が漂着するから、である。

ここから先が「大人たちの話」だ。

漂着した水死体は、警察署に運ばれ検視が行われる。その後、行方不明者のいる家族が警察に呼ばれ一組ずつ遺体と対面する。遺体の多くは衣服を剥ぎ取られ損傷が激しい。家族であっても、ひと目でそれが身内だとわかることはまれだ。では、なぜ、わざわざ家族と会わせるのか。鼻血である。遺体は、家族に会うと鼻血を流す。警察は、その鼻血を根拠に本人を特定し、事件性がなければそのまま家族に引き渡す。

子ども心にも「嘘だろ」と思った。

先日、なにかの拍子にこの話を思い出した。まさか、と思い検索する。するとこの手の話は、自分が生まれ育った町のみの伝承ではなく、全国各地に似たような言い伝えのあることを知った。

ここで話の真偽を確かめるつもりはない。僕は、法医学の専門知識があるわけでもないし、民俗学の専門家でもない。さらに付け加えるなら、仮に事実を知ったところで、そこに特別な意味があるとは思えないのだ。

世界は明るくなった。

明るくなったとは、物理的に、照明設備によって、という意味だけではない。暗闇の中で息を潜め蠢くもの、「魔」としか呼びようのないもの、人間が立ち入ってはいけない「穢れ」「神聖さ」「結界」、そしてそれらの持つ神秘的な力をも含めて、光はすべてをあらわにしようとする。やがて彼らは居場所を失い、徐々に追い詰められてゆくだろう。

僕は、それを文明の勝利だとは思わない。上手く説明できなくてもどかしいのだが、世界には、守るべき「物語」があるような気がしてならないのだ。もし、すべての物語を失った世界は、薄っぺらで単調で退屈ななものになってしまう。ここに小さな物語を記した。私たちが、森や海を守るように、この物語も暗闇に返そうと思う。もといた場所へ。